「2016年の終わりに」

歳のせいか本当に1年がとても早く感じます。
今年も多くの人に支えられて楽しく仕事が出来た1年でした。

最高の仲間との出会い、今まで行ったことのない土地での感動など、
人生はまだまだ面白い。生きていて良かったと実感させられます。

娘も健やかに成長していて毎日僕を笑顔にしてくれます。
家族と過ごす時間はとても心地よく疲れきった時もいつも僕を前向きにしてくれる。
だけど僕はネガティブな人間だから”幸せな時間はいつまでも続かない”という想いが過る度に
今この瞬間を楽しもう、壊れないように大切にしようという気持ちになります。
だって幸せって後から気づくことが多いから後悔しないようにその瞬間に噛み締めていたいのです。

そんな僕自身が人生において大切にしてることは”経験”と”人”です。
価値観の合う愛おしい仲間と真剣な時も楽しい時も経験を共有出来ればそれだけで僕は幸せなのです。
決してお金や権力の為に生きる人生だけは、選ばないようにしてきました。
権力は人に勝手な価値感を抱かせるし、お金は必要以上にあっても結局自分の根本を満たしてくれないからです。
僕は誰とでもフランクに付き合いたいし、誰とでも理解を深める事で互いに人間として尊敬したいと思ってます。

だってこの日本人として生まれた時点でお金や階級がなくても全国民は安全や医療も保証されていて自由に生きることが出来るからです。
人生が選べるという自由。それが世界的に見てもどれだけ幸福な人生なのかいつも痛感させられます。

そんな中で、テロなどの悲惨なニュースを見ていると世界は少しづつ戦争に向かっているように感じます。
子供の頃におばあちゃんから戦争の話を聞いてとても怖くなって日本には国憲法第9条があると聞いて安心しました。
その第9条も改正になってしまい日本人が戦地に送り込まれる日がいつか訪れるのかと思うと憂鬱な気持ちになりました。
国家という曖昧な存在は時に大きな憎悪を生み出し、無情にも多くの人の人生を簡単に犠牲にしてきたからです。

先月、陸前高田市に訪れる機会があり、15mの津波によって町が跡形もなく飲み込まれ、
多くの方が、犠牲になった土地に自らの足で立つとさっと血の気が引いて思わず足が竦んでしまいました。

過ぎ去った時間と失った命だけはいくらお金を積んでも取り返す事は出来ないと改めて痛感しました。

自分を幸にも不幸にしてしまうのは誰でもなく、結局は自分自身なのだから。
いつ死んでも後悔しない人生を歩んでいこうと強く感じる事の出来た1年でした。

なんだか暗い内容になってしまいましたが、このメッセージを見た皆さんが、
目の前にある”幸せ”を再確認出来る機会にしてもらえばそれだけで幸いです。

今年も皆さんには大変お世話になりありがとうございました!
来年もどうぞよろしくお願いします。

All is up to you.

2016.12.26 Cojiro okada

「トップビジュアルの写真」

最近は仕事の忙しかったので久しぶりのブログです。
夏になると通常の広告・カタログ撮影とフェスなどのイベント撮影が入ってくるので、
通年この時期は平日はスタジオで、週末はイベント会場というサイクルになっています。

今年も色々なイベントを撮影させていただき、仕事しながらも夏を感じる事ができました。
ただ今年はとにかく暑く日差しも強かったせいか、人生で初めて熱中症にかかってしまい辛い思いをしました。
アフリカでも毎日撮影できたという自負から結局対策が甘く、夕方頃から頭痛と吐き気に襲われて
撮影の帰りはすっかりグロッキーになってしまい、アシスタントに運転を任せて助手席でうなされていました。
家に着いて体温計で熱を計ると39度まで上がっており、急いで頭や脇に保冷剤を乗せて薬を飲んで寝たのですが、
翌日も朝からロケ撮影だった為、熱もあえて計らずにフラフラで現場に向かい、夕方まで気合いだけでこなしました。
そして結局、そのような無理がたたり、その晩もまた熱を出す始末でした。

僕ももうすぐ40代に入りますので少しでも自分の健康管理を考えていなくては感じました。
なんだか前置きがすっかり長くなってしまったのですが、暑い日の撮影といえば、やはり西アフリカでの撮影がダントツで暑かった事を思い出します。
トップビジュアルのあの写真は僕がアフリカ大陸に初めて着いた時に、空港から乗ったタクシーから撮った写真です。
タクシーに乗ってようやく心も落ち着いてカメラをバッグから出して、何かいい景色がないか探した矢先にあの情景が目に飛び込んできました。
中央分離帯を数珠を片手に颯爽と歩く黒人が見え、僕は咄嗟にシャッターを切りました。
タクシーもそこそこ飛ばしていたので彼とすれ違うタイミングはとても短く狙って撮れるタイミングではありませんでした。
まさにフォトグラファーの反射神経的に撮ってしまった一枚という感じで撮った後もさほど気にせず景色を撮ることに没頭してました。

その後、アフリカでは僕の人生においても貴重な体験となりました。プロフォトグラファーとしての自信も着いたし、何よりもアフリカ人と過ごした
時間の中で感じた事、すべてが刺激的で人間としてクリエイターとしても成長させてもらいました。

帰国後に写真をセレクトしているとトップビジュアルの写真こそがまさに僕の見た西アフリカの人々の姿のように見えました。
写真では、背景に様々な先進国の自動車が、渋滞で止まってしまっている中、石段で一段上がった中央分離帯の颯爽と歩く姿はとてもカッコよく、
服装も独創的で、背中にはまるでマントの背負っているようにも見えます。
便利なものがお金で買える文明社会の中で育った僕にとって、文明に流されず人間の本来持つ能力を引き出し、
自分のスピードと信念を持っている姿はとても人間らしく勇ましい姿に映りました。
アフリカ人には買えないだけと思う方もいると思いますが、自分に置き換えるとあえて買わないという選択肢を持つ事が重要なのです。
実はこの写真はスタジオにも飾っていてこの一枚の写真を見ると思い出が蘇ります。
自分にとっての”本質”とは何かを見極めながらこの先もどのように生きるべきかをいつも深く考えさせられます。

2016.09.08 Cojiro okada

「モノから教わる事」

今まで乗っていた2010年式の日産エクストレイルから、1989年式のVOLVO240に買い替えました。
エクストレイルもさすが世界に誇る日本車で人気車種でもあり、故障もなく燃費も良くて気軽に乗れるよい車でしたが、
金額・車内スペース・燃費の”数値”を競合車種を十分なほど比較してを購入したので満足いく買い物のはずでしたが、買った当初から自分の中で乗れる喜びがなく、どこか自分の気持ちを誤魔化しながら乗っていたので2年目にはもう飽きてしまい3年目には魅力的な車がないか探している始末でした。

それでも故障もストレスもなくエクストレイルを5年乗りましたが、打ち合わせ時に先輩のクリエティブディレクターから
「友達が車売りたがってるのだけどお前の周りで欲しい人いる?」と写真を見せてもらったのが今乗ってる240との初めての出会いでした。
VOLVO240は僕の先輩方の世代ではフォトグラファーの定番車というくらい乗ってる方が多く、アシスタント時代に何度か助手席乗った事のある車でした。

写真を眺めていると懐かしさと共に久しぶりに見るとこんなにも愛らしく魅力的な車だったのかと再認識させられました。
売り出し価格もとても良心的で写真からも30年近く前の車にしてはとても状態も良くて前のオーナーが大切に乗っていたのがすぐに分かりました。
ただこうしたヴィンテージカーというのはきっと故障も多く、手間もかかるだろうし、趣味の車というイメージがあったので、普段から車で仕事しているような自分には維持は難しいと分かっていましたが、すでに心はトキメキを止める事が出来ずに気づけば試乗アポを入れていました。

試乗の約束をした後に車に詳しい方や旧車好きの知り合いに連絡して購入を考えてると相談を持ちかけてみました。
大体の方が人気車種という事もあり最初はとても反応も良いのですが、最後は冷静にきっと故障も多いしお勧めはしない。という堅実な意見でした。
そして実際に試乗しに前オーナーに会いに行くとガレージに置かれたVOLVO240を見せてもらうと僕の気持ちはただのトキメキから恋する気持ちに変わりました。
重厚でレトロなエクステリアには優しい曲線を描いた角丸のスモールウィンドウ、リアゲートのヒンジなど随所にメッキモールが程これており、
そしてラゲッジスペースの横長なウィンドウにハリボテ感の無い堅牢なボディーとアンティークなルックスにすっかり心を奪われてしまいました。

そして試乗後には理屈抜きでこの車のオーナーになりたいという強い想いをもう止まりませんでした。
冒頭にも書いたようにエクストレイルを購入する際は”数値”で競合車種を比較して買った結果への反動なのか
ただ純粋な気持ちでVOLVO240のオーナーになりたい気持ちだけの勢いで購入まで踏み切ってしまいました。
それと同時に今までのモノ選びに対する自分の概念が変わった事に気づきました。

現代の車はどれも低燃費でオートクルーズや事故防止用のセンサーなどハイテク機能が付いた安心と快適さを兼ね備えたものばかりです。
そんな時代に時計すらアナログな28年前の車に惹かれた理由は堅牢なボディーとシンプルで整備性の高い基本設計とエンジンの頑丈さです。
時代が経っても決して色褪せる事のない車としての本質が詰まっており無駄な物が何ないシンプルさと飽きのこない温もりを感じるデザイン性に惹かれました。
そしてこの28年間の時を超えて巡り出会う事のできた喜びと同時にこれからあと何年この車が走り続ける事が出来るかというのも自分にかかっているという点です。
他人が見ればただのポンコツ車かも知れませんが僕にとっては特別な存在でこれからも愛情をかけて大切に乗りたいという”物”に対する思いです。

低価格化によって家電でもパソコンでも壊れたら新しい物に買い替え事が当たり前になっている時代に古い物に大切に使い、
次世代に受け継ぐという事はとても大事に感じるようになり、僕がこの車を手放したとしてもまた誰かに大事に乗って欲しいという想いと
あえて便利で正確なコンピューターに頼らず自分がしっかりと理解してちゃんと向き合う事で故障しないように気を配ろうという気持ちです。
便利な物はすぐにお金で買えますが、何かを学習しようする気持ちや自分が成長したいという気持ちはなかなかお金を出しても買う事が出来ません。
この便利な物が溢れた時代で何か一つ楽する事で人間として何かを一つの大事な事を忘れてしまうかも知れないという想いを学ぶ事が出来ました。

2016.04.14 岡田光次郎

「Golden Time」

今日は店舗施設の外観・内観撮影をしてきました。この季節、夕暮れ時は凍える様に寒空の下で
久しぶりの夕焼けの一番綺麗な時間帯で撮影する為に1時間近く外でシャッターチャンスを待っていました。
寒さには弱いので、寒いのはとても嫌なのですが久しぶりにじっくりと夕焼けを見れた気持ちの良い日でもありました。
立川にスタジオを持って以降、スタジオでの撮影が増えた事もあって久しぶりのロケというのもあったのですが、
やはり太陽光って綺麗だな〜とつくづく思ってしまいました。

太陽が地平線に溶けて消えていく10分くらいの間にゴールデンタイムという呼んでいる時間帯があります。
太陽光がサイド光となって鋭く直射光で長い影を走らせ、光量が落ちる事でシャドウが浮き上がり、空は綺麗なグラデーションになります。
とても雰囲気のある写真が撮れる瞬間なので、僕の中でのロケの楽しみの一つとしてこの時間を楽しんでいます。
それにこれで日が暮れたら撮影終了というのも終わった時には、日没までやりきった謎の満足感とナチュラルな気持ちの良さがあります。

これは僕が写真を始めた当時、スナップ写真ばかり撮っていたので日中いい写真が撮れずモヤモヤと街を徘徊していて
もう諦めかけた夕暮れの夕焼けが綺麗な時間になると今まで何にも感じなかった景色がとてもドラマチックで魅力的な景色に変わり
その瞬間に、カメラに残ったフィルムを撮り切るまでシャッターを切っていたので、今でもジンクスなのかその時間を楽しんでしまいます。
ただ曇りの日はあまり期待できませんので天気の良い日に限ります。また天候に恵まれて良い光や景色に出会えるのかは、
半分以上がその日の運次第とも言えるでしょう。事前にロケハンして翌日撮影しても同じ光に出会う事は難しいと思います。
その日のその場所のその時間帯にカメラを構えていた事で起きた奇跡のような偶然性も写真の楽しみの一つだと思います。

それに「自然光に勝る光はない」という写真家が多いのも同じ写真家として納得してしまいます。
ただ僕は光全般を楽しみたいと考えていて、しかもコントロール出来るようになる事でより自分の世界観が出ると信じています。
光は様々な種類があってそれぞれ特性と表現力も持っています。太陽光だって1日を通して色味や光の特性も変化し続けます。
自分で都合よく光源をコントロールするではなく、太陽の時間帯によって光を使い分けて1日の中でどうのように撮影をするかを考える必要があります。
特性も電気を使ったストロボの硬い光とは違うオーガニックな光で撮る自然光撮影の写真は温かみがあり個人的にもとても好きな光です。

2016.02.16 岡田光次郎

「人」

今日は人物撮影でした。メーカー様から案件である有名人を撮影させていただきました。
もちろん人それぞれなのでプロに限った事ではないのですが、僕の場合人物の撮影前は正直気持ちが少しナーバスになります。

ラフデザインもあり完成イメージが見えていて、環境の整ったスタジオ撮影でしたら、自分の使い慣れた環境という事もあり
気持ちが楽になるのですが、初めて訪れる環境で初めて会う人を撮るというのはいつまで経ってもちょっと緊張感が走ります。
ただ決して憂鬱になるだけではなくいい写真が撮れるのではないかという期待も入り混じり、ちょっとドキドキしてしまいます。

ただ仕事の条件によりますが要望がない限り僕は被写体に対してそれほど要求する事はありません。
ただロケハンとアングル、ライティングにはできる限りの時間をかけ自分のイメージする背景や環境の中に
モデルに入ってもらい、その人らしい表現を見つけ、確実に押させるというのが僕がポートレートで心がけている事です。

それにはちょっとした理由もあるのですが僕が幼少の頃から映画好きというのもあり映画のワンシーンを目指しています。
自分の整えた環境でモデルとなる被写体の特有の癖はキメ顔やふとした時に見せる切ない顔など本人らしい一枚を撮りたいのです。
それだけではありませんが、思わずセリフを言いたくなるような写真が個人的には好みです。
その為には相手のイメージに協力したり、ちょっと煽ってみたり、時には被写体の提案なんかも乗ってしまう事もあります。

ファインダーを通して長い時間、相手の目を見続けていると被写体内側を多少でも読み取る事が出来ます。
相手が「もう飽きたな・乗ってるな・緊張してるな。」などは目を見てるとすぐに気づいてしまいます。
なので相手のテンションを読み取りつつ可能な限り短時間で自分の欲しい一枚を引き出す事を心がけています。

その為にもアングルのホットスポットを何箇所か探りながら、対話を交えて間をあけたり
撮影しながら欲しい相手の表情にリーチ出来るようその時を待ちます。

時にはプレイ中や作業中などの集中している相手の仕草をひたすら追って撮り続ける事によって本人でも見た事ないであろう
真剣な眼差しや優しい眼差しなどを撮る事が出来てよりライブ感があって楽しいものです。

写真とは一瞬の出来事なので、決して時間をかけて撮り続ける事で良い結果になるわけではないですが、
多少撮影という行為に時間をかけ、何枚も撮影して生きた被写体の内面的な一面を映し出す事ができるもの写真特有の楽しさです。

どんな撮影であれフォトセッションさせていただいた被写体本人に喜んでもらえるような写真が撮れる事が自分の中でも喜びとなります。
仕事で出会って、撮って、そしてまたいつかどこで!と何人も握手する事を繰り返している内に、この短い時間の中で自分が相手の為に出来る環境作りとその場で考え尽くす限りの可能性を
事前に探る事がフォトグラファーとしての礼儀として考え、短時間での大事なフォトセッションを楽しむ為にも心の余裕を持った撮影を心がけています。

2016.02.15 岡田光次郎

「光」

フォトグラファーも写真を撮る技術の中で演出としてとても大事なのがライティングなのですが、
先日ミキシングエンジニアの方と話す機会があり、作業内容を聞いていると僕らのライティングととても似ているという事に気づきました。
エンジニアの技術によって音質を細かく調整して音の演出をしている作業はとてもライティングと似ています。

いい音に敏感ですぐに分かる方もおりますが、僕の場合は建設物などのキレイな光を見ると一人で感動してしまいます。
仕事でヨーロッパに行く機会があり、今までに歴史のある数々の建物を見る機会に恵まれましたが、
教会などの建物で太陽の方角を計算して建築されているものやステンドグラスによって光の演出された風景はとても感動的です。

光にも光源によって色々な性質があり、色温度や光質よって様々な演出をする事ができます。
ロケなど自然光での撮影でしたら、時間帯や方角を計算し太陽光の持つ特性を活かして演出をします。

よく「子供の写真をキレイに撮りたいのだけど、どうしたらいいですか?」と質問される機会が多く、
もちろん一言では語れない様々な方法があるのですが、その中でもよく言うのが、
「光がキレイな場所を探してそこで撮ればキレイな写真が撮れるよ。それか日陰で撮りなさい。」
この二つの方法は特に技術もライティング機材も必要となく観察力と木陰があればよいので簡単です。

「日陰で撮りなさい。」なんて素人の方に言うと”え!”って顔をされてしまうのですが、
野外であれば日陰の中にも光は存在しておりコントラストが低くとても柔らかく優しい光を演出してくれます。
現代のカメラはISO感度も良好なので手ブレなどのリスクもだいぶ減り晴天時の日陰であれば十分撮影出来ます。

カメラはどんどん進化してビデオと写真カメラの境界線もなくなったばかりかスマートフォンでもキレイな写真が撮れる時代です。
今ではピント位置やボケを撮影後に変更できたり、HDRなど凄まじい進化を遂げていますが、
その中でも光を理解する事、光によってどのような演出が出来るかというライティング技術だけは無くならないでしょう。

簡単に写真が撮れる時代だからこそ光の演出を楽しみながら撮影をしてみてはいかがでしょうか?

2016.02.09 岡田光次郎

「コンテンツ時代」

現在、写真は今や紙媒体の需要から急速なデバイスの液晶へと変化を継げています。
スマートフォンなどのクリアなモニターに映し出される画像は、
サイズは小さいけれど拡大もでき、とても高解像度で再現豊かだなと感心しています。
まだまだ紙媒体の方も印刷技術も進化を遂げており、更に再現性を高めています。
両者ともクリアに被写体のディテールを伝える進化は留まる事も知りません。

オンライン販売が支流となってきた中で、お客様が商品を始めて見たのが写真だとしたら
そこは、商品の第一印象を与える大事ポイントになります。
誰にどのような印象を持ってもらいたいか、どのように伝えるべきであるかが大切になり、
より被写体の魅力を引き出せる写真にはそれだけの価値があるはずです。

ただ写真という静止画の表現も大事ですが、なんでもとりあえずスマートフォンで調べる時代で
徐々に活字から自動再生のナレーションや字幕へと進化し、ページを手でめくる事も少なくなった気がします。
元々雑誌好きだったので寂しくもあり今でも気になる本はやはり買ってしまうのですが、
そんな中で今やCMというのはテレビの枠を超えネットの中で多く存在します。
短いショートCMを再生リストでみる事によって一味違うCMを楽しめる時代です。

仕事柄や世代によってはテレビよりもYou tubeなどネットCMの方が多く見る機会があります。
映像コンテンツだけではなくより気軽にFacebookやTwitterなどのSNSサービスによるシェアされ、
見たい時にアクセスできる話題性の高く購買効果が期待できる宣伝媒体といえます。

もはやCMはうっとおしいだけのものではなく、企業イメージを伝える新しいウェブサイトなのです。
見たい人だけに見てもらう。見てもらう事でより購買意欲につながる事が鍵となり、
一方的に商品のイメージを押し付けるのでなくよりお客様に近くに感じてもらえるを大切に考えており、
予算を多くかけた長編なくてもショートCM需要を感じています。

それは、情報が多い中で出来るだけ多くシンプルにかつポイントを押さえて商品の魅力を伝える事は、
時間がなく小さいな画面で見ているお客様に対して必要なアプローチと考えます。
更に必要な情報や楽しめるコンテンツ作りなどは、共にお客様へのより良い理解へと繋がるではないでしょうか。

2016.02.03 岡田光次郎